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職業奉仕とは・・・その原理と実践
(ロータリーでいう職業奉仕を正しく学ぼう)
ロータリーの源流(炉辺談話より):RI2680地区田中毅PDG著
編集 杉田博

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PART1-職業奉仕とは(炉辺談話382より)

 職業奉仕の理念は He profits most who serves best 「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」というモットーで表されています。

 このモットーはアーサー・フレデリック・シェルドンが提唱したものであり、職業奉仕は彼の考え方を、そっくりそのままロータリーが受け入れ、今日に引き継いでいる他の奉仕団体とは異なった独自の奉仕理念です。
Profitという単語を巡ってイギリスが拒否反応を示したり、Heという代名詞を巡って性限定用語だという批判はあるものの、シェルドンの職業奉仕理念はいささかの修正も加えられることなしに現在に引き継がれています。シェルドンの職業奉仕理念こそがロータリーの職業奉仕理念であり、どんなに優れた考え方であったとしても、シェルドンと異なる考え方を、職業奉仕理念と呼ぶわけにはいきません。すなわち、職業奉仕の理念を理解しようと思ったら、シェルドンが書いたり語ったりした一次資料を理解することが必要です。
しかし残念なことには日本ではシェルドンの一次資料はほとんど紹介されておらず、後世のロータリアンが書いた二次、三次の資料や伝聞によって職業奉仕が語られてきたのが現実です。

 東洋思想の影響からか、日本のロータリアンの多くは職業奉仕に大きな関心を抱き、多くのロータリーの指導者たちが職業奉仕を説いていますが、シェルドンの職業奉仕理念とはかけ離れた解説もかなり多いようです。仏教や儒教のような東洋思想を引き合いにして職業奉仕を語る人もありますが、それはその人の考え方であって、シェルドンの職業奉仕理念とは程遠いものであることを強調しておきたいと思います。
ヨーロッパではキリスト教の天職論と職業奉仕を結びつけて考える人が多いようです。ポールハリスが幼少の頃をニューイングランドで過ごしたことから、ピューリタニズムの天職論がロータリーの職業奉仕の根底にあると説く人もいますが、ポール自身が敬虔なキリスト教徒ではなかったことは、彼が書いた伝記からも明らかですし、ロータリーの職業奉仕理念の構築はポールではなく、アーサー・シェルドンの功績であることは誰の目にも明らかです。
 マックス・ウエーバーの天職論がロータリーの職業奉仕の根底にあると説く人もいますが、これも明らかな間違いです。マックス・ウエーバーが彼の代表的著作である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を発表したのは1905年のことであり、シェルドンはそれよりはるか以前に職業奉仕の理念を構築して、それを実社会で応用するためのビジネス・スクールを経営していたからです。

 シェルドンの奉仕理念を正しく知ることが、正しく職業奉仕を理解することにつながります。そこで先ず最初にシェルドンの職業奉仕理念とはどんな考え方なのかについてお話をしてみたいと思います。

 我々職業人が自らの事業の継続的な発展を願うことは当然です。企業経営によって利益を得ることも当然であり、決して卑しいことではありません。しかし合法的でない方法や道徳的でない方法や、他人から批判を浴びるような方法で一時的に大きな利益をあげたとしても、それは長続きするものではありません。シェルドンは自らの事業を継続的に発展させるための学問的な企業経営の理念と実践方法を考え出して、そりをロータリーの職業奉仕理念として提唱したのです


 1921年、スコットランドのエジンバラで開催された国際大会で、シェルドンは、ロータリアンの職業は利益を得るための手段ではなく、その職業を通じて社会に奉仕するために存在するのであり、儲けを優先しようとして事業を営むことが、事業に失敗する最大の原因であると、次のような例を述べています。「今、仮に全世界の靴屋の会合が開かれて、靴に関連する職業を持っている全世界の人が集まったと仮定します。その人たちに、なぜ靴屋をしているのかと質問すれば、殆どの人は、儲けるためと答えるに違いありません。5%くらいの人は、自分の仕事が他の人のためになるから(職業を通じて社会に奉仕するため)と答えるかも知れません。仮に、その場所に大地震か何かの天変地異が起こって、集まった人たちが全員死んでしまったらどうなるでしょうか。当分の間は、何の影響もないかも知れませんが、やがて全世界の人たちは、靴を履くことができなくなってしまうことは確実です。そこで、初めて、5%の人たちが答えた、職業を通じて奉仕するという言葉の真意が理解できるのです。」

 職業は専門職務と実業に分類されます。医者、僧侶、弁護士、教職者などの専門職務に携わる人は、利益を追求するためにサービスを提供するのではなく、相手の身分や報酬の金額に捉われずに、自己が保持する最高の技術を地域社会の人に提供することが義務付けられてきました。サービスを受けた人が感謝の念をこめて報酬を支払うのであり、財力のない人が支払を強制されることはありませんでした。
これに対して実業家は原価に利益を加えた取引で生活を営まなければなりませんでしたから、如何にして適正な利益を設定するのかという問題を抱えていました。

 シェルドンは、自らが利益をあげることのみに狂奔せずに、自分の職業を通じて地域社会の人に奉仕するという態度で、すなわち専門職務の人と同じ考え方で企業運営をすれば、その見返りとして最高の利益が得られることを説いたのです。

 職業奉仕とは科学的かつ合理的な企業経営方法のことであり、シェルドンの職業奉仕理念に則った企業経営をすれば、継続的に最高の利益が得られることを証明する実践理論でもあります。他の奉仕活動の受益者はロータリアン以外の人たちですが、職業奉仕の受益者はロータリアン自身なのです。
 そしてそれを端的示したモットーがHe profits most who serves bestなのです。なお、職業奉仕の実践は顧客の満足度を最優先した事業経営の方法ですから、当然のこととして高い職業倫理という結果が現れます。しかしそれは職業奉仕を実践した結果に過ぎず、職業倫理高揚を目的とした活動ではありません。

 さて、私の調査によると、シェルドンは1910年、1911年、1913年、1921年の都合4回の国際大会とThe Rotarianに対する数回の投稿で職業奉仕の理念を説いています。従って、これらの内容を理解すれば、シェルドンが説く職業奉仕の理念を完全に理解することができます。
 1921年のエジンバラ大会で発表した「ロータリー哲学」と題するスピーチ原稿は、1991年に神崎正陳パストガバナーが東京のロータリー文庫で発見し、それを小堀憲助氏が翻訳しました。1910年、1911年、1913年のスピーチ原稿は2000年と2002年に私がRI本部の資料室で見つけ出して、1921年のスピーチ原稿と共に私自身が翻訳して、私のウエブサイト「ロータリーの源流」で発表しました。なおこれ以外にも2、3の小論文がThe Rotarianに投稿されていますが、いずれも「ロータリーの源流」に収録していますので、ぜひ原文に接していただきたいと思います。このように私が発表する以前には、正式にシェルドンの論文が公開されていなかったために、日本のロータリアンがシェルドンの論文に直接触れて、シェルドンの職業奉仕理念を正しく理解できるようになったのは、ごく最近のことなのです。

 ロータリー創立当初から20世紀の後半頃までは、第一次産業、第二次産業、第三次産業がバランスよく均衡を保っており、それぞれの産業別に職業分類を設定すればよかったのですが、最近はこれが大きく変わってきました。
2006年の日本における産業別人口割合は、第一次産業(農業・漁業・林業等)4.8 %、第二次産業(鉱業・製造業・建設業等)26.1 %、第三次産業(上記以外の産業)69.1 %となっています。特に第三次産業の伸びは著しく、サービス・情報通信・金融などの分野で新しい分野の職業が生まれ、既存の職業分類表は今や無用の長物に化した感があります。

 かつて私たちは、陰日なたなく額に汗しながらもくもくと働く姿を尊いものだと教えられてきました。会社は永年雇用、年功序列を原則とし、社員は会社に忠誠を誓うことを当然だと考えてきました。しかし昨今はその考え方が大きく変わってきました。労使の目的意識が変化し、雇用体系も変化てきました。効率よく働くことが美徳とされ、生活費を稼ぐのに必要な時間だけ働いて、余暇を楽しむという風潮さえ生まれました。職業に関する目的も大きく変化し、企業は利益の追求を第一義に考えて会社を運営し、従業員は高い収入を得ることを第一義に考えて働くようになってしまいました。
こういう風潮の中から、世間を騒がすような企業の不祥事が続出していることは、職業奉仕を錦の御旗にしているロータリアンとして慙愧の念に耐えません。

 昨今一連の不祥事を起こした企業の中に、ロータリアンの企業も数多く含まれています。ミートホープ然り、赤福餅然りです。職業奉仕を標榜する組織のオーナーが職業倫理にもとるような犯罪を犯したわけですから、当然マスコミもこれらのオーナーがロータリアンであることを大きく取り上げてロータリーを袋叩きにするはずなのに、どの新聞にもどのテレビにも一向にロータリーの名前がでてきません。すなわちマスコミも一般の人たちも、ロータリーが職業奉仕の実践と職業倫理を高めることを主な目的にした団体であることを認識せず、数多く存在するボランティア組織の一つくらいにしか考えていないことを意味するのではないでしょうか。これまた腹立たしいことです。

2008年1月28日

(参照文献)
1.職業奉仕 その原理と実践(2007年 田中毅著)
2.職業奉仕 理論と実践の徹底的分析(2006年 田中毅著)
3.詳説 アーサーF.シェルドン(2004年 田中毅著)
4.奉仕理念の提唱者アーサーF.シェルドン(2002年 田中毅著)
▼ダウンロード(ロータリーの源流:田中毅著作文献)
http://www.tanaka-library.com/22jp.html

*アーサー・フレデリック・シェルドン(Arthur Frederick Sheldon)
1868.May.1〜1935.December.21

PART2-職業奉仕の実践例 (炉辺談話383より)
 私たちは何のために働いているのでしょうか。お金を儲けるため、それとも・・・。
ロータリーに職業奉仕の概念を導入したアーサー・フレデリック・シェルドンは、1921年に行った「ロータリー哲学」という表題のスピーチの中で、
われわれの職業は、金儲けをする手段ではなく、その職業を通じて社会に奉仕するために存在すると述べています。現実にはありえないとしても、パン屋、洋服屋、米屋、銀行と、どんな職業であっても、ある日突然その職業を営む人が全員いなくなったとしたら、社会の人々は大いに困るに違いありません。そういう事態を迎えて初めて、すべての職業は社会に奉仕するために存在することが、判るのかも知れません。

 ロータリーでは社会に奉仕するための事業を実業と定義しています。ほとんどの事業は程度の差こそあれ社会に貢献していますから実業です。
これに対して社会には全く貢献せず、自分が儲けることのみを第一義に考える事業は虚業だと言えるでしょう。なお例え実業であっても、社会に奉仕することを忘れて、自分の利益を優先した企業経営を行えば、その企業の将来は必ず不幸な末路をたどることでしょう。

 事業主は実業であると信じていたかも知れませんが、明らかに虚業である幾つかの企業が起こした不祥事を振り返ってみましょう。

*テキサス州ヒューストンに本拠を置く総合エネルギー企業エンロンは、不正なガスと電力取引によって巨大な利益をあげました。しかし不正な株価操作と粉飾決算が内部告発によって表面化して結果的に倒産しました。

*堀江貴文氏は世間の誰もがやらないような方法で法律の抜け道を潜って、会社の実態の伴わない株式分割をしたり、時間外取引や投資事業組合やペーパー・カンパニーを使って、株の買占めや粉飾決算をしました。これらの二つの会社の共通点は、株価至上主義に走ったあまり、本来は会社の業績を示す指標であるはずの株価を、利益のかさ上げや、損失のとばし、デリバティブによって人為的に上げようとしたことにあります。

*物言う株主として脚光を浴びた村上世彰氏はニッポン放送株のインサイダー取引によって実刑判決を受けました。ファンドだから「安ければ買い,高ければ売る」のは当然だという擁護論もありますが、阪神電鉄買収劇を見ても、企業を自らの金儲けの手段としか考えていないことは明らかです。

*敵対的買収で有名なスチール・パートナーズについても同様なことがいえます。伝票の操作だけで金を儲けるこれらの事業を果たして実業と呼べるのでしょうか。M&Aと書くと格好よく聞こえますが、会社や従業員や消費者の利益のためのM&Aでなければ、これは「会社乗取屋」に過ぎません。
「会社乗取屋」は社会に奉仕する職業なのでしょうか。「会社乗取屋」を含めた世間の人達が疑義を抱くような方法で巨万の富を築くような事業は、ロータリーが定義する世に有用な職業ではなく、虚業に過ぎないのです。ロータリーは、こういった事業をまともな職業だと判断して入会を許した経済団体の轍を踏むようなことがあってはならないのです。

 職業を通じて社会に奉仕することを忘れて、自分の利益を優先するところから、数々の不祥事が起こります。
2005年の春に、鶏インフルエンザを巡って、浅田農産という会社の倒産と社長の自殺という痛ましい事件がありました。近畿圏の生協に広く鶏卵を納入していたことからもこの会社が堅実な事業経営をしていたことが判ります。平常は10羽単位だった鶏の死亡率が、100羽、1000羽単位と対数曲線を描いて増えていったことに、もしや、鶏インフルエンザに罹ったのではないかと疑ったことは容易に想像できます。一瞬の判断のミスが致命的な結末に繋がります。もし、彼が食品の安全性を第一義に考えていたなら、きっと正直に届け出たのではないでしょうか。当然、会社にとっては一次的に大きなダメージがあったとしても、自ら命を絶つような事態には陥らなかったに違いありません。同じ時期に、同様な事態に陥った近所の養鶏場が、いち早く届出をしたために、一次的には大きな損失を被ったものの、行政から感謝状まで貰って、事業を継続していることから考えても、自己の利益を優先せずに事業生活を営むことの大切さをしみじみ感じた事件でした。

 豚肉や鶏肉を牛肉と偽装表示したり、肉に水を注入して重さをごまかしたミート・ホープや、牛肉の原産地を偽装した船場吉兆の例は、偽物を売ったことで明らかに消費者の信頼を裏切った行為です。賞味期限を偽った雪印乳業、白い恋人、フジヤ、赤福餅も消費者の信頼を裏切った行為には違いありませんが、より新鮮で美味しい食品を消費者に届けようという善意から生まれた賞味期限というあまり学問的な裏づけのない日付設定と、食品の安全性の間に生じる矛盾についてはいささか疑問が残りますし、これらの会社の製品を食べて事故が起こった例を聞かないことも不思議です。

 外国では食べ残しの食品を「Doggy Bag」に入れて持ち帰るのが普通なのに、日本ではすべて廃棄処分にするという法律も、食品のほとんどを輸入に頼っているわが国の現状から見ても考え直す必要があるのかも知れません。

 不祥事を起こして糾弾される企業がある一方で、経営破綻を起こしたスパーダイエーの創業者中内功氏が社会的に厳しく糾弾されたことがないことも興味ある事実です。売上高日本一のスーパーを育て上げた一方で野心的な事業拡大が裏目となって、経営破綻を招きましたが、彼の流通革命の功績は高く評価され尊敬の念は薄れていません。彼の評価が高いのは,顧客の立場に立って大手メーカーとの衝突しながら,価格破壊を推進したことです。さらに阪神・淡路大震災に当たっては、三宮店の壊滅的な損害にも関わらず、被災者の生活必需品の供給に全力を挙げたことも大きな評価です。すなわち自らが儲けることよりも、社会に奉仕することを優先したのです。

 企業に継続的な利益をもたらすはずのロータリーの職業奉仕理念を実践したダイエーが、なぜ経営破たんに陥ったか、その真の理由を解明する必要があります。

 ホリエモンや村上ファンドの株式買収劇、スチール・パートナーズのM&Aなどの一連の事件を通じて、日本でもやっと「会社は誰のものか」という議論が闘わされるようになってきました。経営学的思考からは、会社は株主のものだという答えが返ってきます。経営者は株主の代理人として株主の利益を最大化するために働くわけであり、もしも株主の期待通りの働きをしなければ、いとも簡単に更迭することが可能です。会社の存在理由は利益の最大化であり、ほとんどのアメリカ人はその考え方で会社を経営しているようです。
 しかし日本人の多くはそのように単純には考えず、会社は事業を通じて地域社会に貢献するために存在するもの、すなわち社員や顧客のものだと考える人が多いようです。株主は資金を提供するために存在するのであって、社員や顧客が満足度を持てば、結果的に利益があがり株主が儲かることになります。シェルドンの職業奉仕理念もほぼこれと同じ考え方です。

 最近では、現代社会においては、経営者や従業員の暴走を止める力を持っているのは株主ではなく、顧客や取引先であると考える人も多く、Yahooリサーチ・モニターの調査によれば、会社は株主のもの 31.6 % 、従業員のもの 25.2 %、経営者のもの 15.6 % 、地域社会のもの 15.3 % という回答になっています。

 Jリーグの所有者は誰かを考えてみてください。チームの株主となっている親企業やスポンサーとなっている自治体が所有者であることには間違いありませんが、人気を牽引する選手や監督や役員、サポーターである地元社会の人たち、メディアやスポンサーとなっているスポーツ用品メーカーも所有者だということができます。さらには、対戦相手のチームや観客なしにはチームの存在は考えられません。すなわちチームに関わるすべての関係者が支えあっている社会なのです。

 ロータリーも企業に同様な配慮を要求しています。職業は社会に奉仕するために存在し、健全な事業を営もうと思えば、経営者の努力に加えて、従業員、取引業者・下請業者、顧客、同業者などの地域社会や行政などのすべての協力が必要だと考えています。ロータリーではこれらの関係者すべてを総称して
Fellowsと呼んでいるのです。

 人間関係学の面から、事業に成功する方法を考えてみたいと思います。私たちがロータリアンの身分を保っているのも、ロータリーの会合に出られるのも、ひとえに自分の事業が上手くいっているからです。これは、経営者である皆さま方の力量によるところが大ですが、皆さま方の会社で働いてくれている従業員、事業所に色々な品物を納めてくれている取引業者や下請け業者、事業所から品物を買ってくれる顧客、さらに、私たちの事業が、その町の中で普遍的に営んでいけるのは同業者がいるおかげであることを忘れてはなりません。私たちを取り巻く全ての人たちのおかげで自分の事業が成り立っているのだと考えるならば、自分が得た利益を、自分で一人占めするのではなく、こういった自分の事業に関係する人たちと適正にシェアをしながら、事業を進めていけば、必ずあなたの事業は発展していくはずです。そのような経営方針を採用して事業が発展していく様を、あなたの事業所をサンプルとして実証すれば、あなたの同業者の人たちは、あなたの事業態度を真似るに違いありません。そうすれば、あなたの所属する業界全体の職業倫理が上がっていくというのが、
He profits most who serves bestの本来の意味です。この考え方は今も昔も変わらない真理です。

 企業は社会性、公共性、公益性という社会的責任を負っています。社会性を果たすためには、顧客の求める商品やサービスを、適正価格で、適時に提供する必要があります。公共性を果たすためには、環境保護、独占禁止法違反、粉飾決算、詐欺商法等の反社会行為や公共の福祉に反する商行為をしないことが必要です。公益性を果たすためには、国家や社会に対する貢献度が問われます。
最近の風潮として、単なる売上高や収益率によって企業をランク付けするのではなく、優良企業の判定基準に社会的責任や製品やサービスの品質の高さを加味する傾向が加わってきました。フォーチュン誌が発表した2007年度のアメリカで賞賛される企業の判定基準には革新性、人的管理、資産活用、社会的責任、経営の質、財政の健全さ、製品・サービスの品質、長期投資などの項目があり、ジェネラル・エレクトリックス、スターバックスに次いでアメリカ・トヨタが第3位にランク付けされています。

 シェルドンは、持続して繁栄し発展しているいくつかの企業に共通して見られる特徴を、サービスと名づけました。

 販売する商品や提供するサービスの品質が高いことが大切です。特に食品の場合には味覚に加えて安全性が重要なポイントになります。価格が適正であることも大切なことです。品薄の機会を捉えて一時的には暴利を貪ることができても、一旦価格が安定すれば顧客は戻ってはきません。店主や従業員の顧客への態度や気配り、豊富な品揃え、公正な広告、商品や業務に対する知識、アフターサービス、顧客が感じる満足感と公平感、こういったもの全てがサービスであり、サービスの良い店には必ず顧客がリピーターとなって訪れたり、別の顧客を紹介してくれます。
 更に顧客の満足度の高い事業所は、結果として高い職業倫理を持った事業所だと言うことができます。顧客の満足度を高めるサービスこそが企業の永続的発展と成功を保証する唯一の方法なのです。

 シェルドンの職業奉仕理念をまとめて見ましょう。

 自らが儲けるために職業に就いているという考えを捨てて、顧客の満足度を最優先しつつ、自らの職業を通じて他人に奉仕をするという考えで事業を営めば、その真摯な態度が顧客の心を捉えて、リピーターとして何度も事業所を訪れたり、新規の顧客を紹介してくれるはずです。
その結果大きな利潤が得られるとともに、その事業所は継続的に発展していきます。
そして、そのような事業所は結果として高い職業倫理を持っているはずです。職業奉仕は職業倫理を高揚することではなく、職業奉仕の実践が結果として高い職業倫理につながるのです。

2008年1月31日
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